私は、数ある嵐の曲の中で、Love so sweetが一番好きです。
私が人生で初めて聴いた嵐の曲。
嵐ファンになるきっかけになった曲。
シングル、アルバム、カップリング。
20年という長い時間をかけて生み出された嵐の楽曲は、もうそれはそれはたくさんありますが、やはり最愛の曲はLove so sweetです。間違いない。その理由は後ほど...。
そんな私にとって大切な一曲が、Rebornシリーズ第4弾として生まれ変わりました。
原曲の爽やかさ、キラキラ感はそのままに、疾走感と新しさが加わって、もっとずっとかっこよくなっていました。それでいて、聴き終えると原曲を改めて聴き直したくなる。そしてまたRebornを聴いて。もう無限ループです。うっかりしてるとこれだけで1日終わりそう。
しかも英詞がま〜〜〜〜〜〜〜〜かっこよくて。
解禁直後に暗い部屋でひとりぶち上がったテンションそのままに詞をパソコンでぱちぱち文字起こししてしまったので、せっかくなら有効活用したい。ということで(?)詞を自分なりにじっくり読んでみたいと思います。
普段洋楽を聴くわけでもなければ、和訳を専門的に勉強したわけでもない、高校時代ちょっと英語が得意だった程度の者による拙い訳で申し訳ないのですが、それでもよろしければお付き合いください。
It’s not a mirror, It’s not the sun I’m seeing
You are the light that’s shining in the sky
Right on me
My world will never be the same
訳:
僕が見ていたのは鏡でも太陽でもなかった
君は空に輝く光だったんだ
僕の世界は全く変わってしまった
対応する原曲の詞:
輝いたのは鏡でも太陽でもなくて
君だと気付いたときから
Rebornシリーズの特徴として、海外を意識してか英詞が多いことが挙げられます。今回のLove so sweetもやはり、英詞が曲の大半を占めています。ざっと和訳してみても、原曲の詞とそこまで違いはないように思えるんですが、英詞と原曲の詞、どちらも知ってはじめて分かることもありました。
例えば、「僕」が見た”輝き”の正体は鏡でも太陽でもなく「君」だったのは分かっていたことだけど、英詞によると実は「君」は「僕」から見たら空で輝いていた、ということ。
それに気付いたときから、「僕」の世界は、その前とは全く違ったものになった、ということ。
「太陽」「空」といったスケールの大きいワードが使われているあたり、何とも嵐らしくてうれしくなります。以前このブログで考察(という名の感想文)をアップした5×20も、空・海・雲を意識して作詞がされていました。嵐と、気象や天体を思わせる言葉は、切っても切り離せない関係にあります。
mylifeismymessage1052.hatenablog.com
We’ve left our shattered dreams behind
And yesterday’s a distant time
We can hear a symphony, it’s our song of love
訳:
壊れた夢は置いていこう
昨日は遠い昔のこと
歌が聴こえる、それは僕たちの愛の歌
対応する原曲の詞:
傷ついた夢は昨日の彼方へ
空に響け 愛の歌
「shattered」という言葉は、単に「モノに傷がついた」というより「粉々になった」という意味を持ちます。こっぱみじんというか、もう原型を留めないくらいに壊れてしまった、というニュアンスです。
そんな、もう跡形もないくらいに傷つき壊れた夢はうしろに置いて、また歩き出そう。そんな強い意思を感じます。
「symphony」を和訳すると「交響曲」。管弦楽によって演奏される、大規模な楽曲のことで、年末に各地で大合唱されるあの第9も交響曲のひとつです。単に「song」とするよりも、「symphony」と表現した途端に視界がふわあっと開けるようなスケールの大きさがこの曲に加わるように感じます。
Everywhere that you go, I go
We belong together
Memories in our hearts, They are forever
There will never be anyone else that I love as much as l love you
訳:
君が行くところならどこへだって行くよ
僕らは一緒さ
思い出は永遠に心の中に
君以上に愛せる人なんて、他にいないよ
対応する原曲の詞:
思い出ずっと ずっと忘れない空 ふたりが離れていっても
こんな好きな人に 出逢う季節二度とない
原曲では「ふたりが離れていっても」と、ふたりが一度は別々の道を歩む可能性を想定しているのに対し、英詞では「ずっと一緒だよ」と離れないことを誓っています。
表現方法は違えど、誰かを一途に愛するきらめきと喜びがひしひしと伝わってくるのはどちらも同じです。
And if you shine your light a little brighter
Hold my hand and we’ll reach higher
Believing is everything in Love so sweet
訳:
もし君がもう少し照らしてくれたなら
僕の手を握って、そしたら僕らもっと高いところへ行けるから
信じることが全て Love so sweet
対応する原曲の詞:
光ってもっと最高のLady
きっとそっと想い届く
信じることが全て Love so sweet
曲中で一番訳に悩んだのがここでした。your lightとはなんぞや?と考え込んでしまいまして。人間は発光することはできないので(当たり前)比喩であることは間違いないのですが(当たり前)、さてどう訳したものかなと。
いろいろ考えた末、 「僕」は「君」に照らしてほしいのだと考えるようになりました。それが心なのかこれからの人生なのかは分からないけれど、1番冒頭で気付いた「君」の輝きがあれば、「僕」はずっと強くなれる。だから一緒にもっと遠くへ、知らない景色を見にいこう。そんなメッセージなのではないかなと。
そこからいつも見えるように この手を空に向け
広がる君との思い出
原曲の詞そのままの部分その1。
歌割りも原曲と同じく大野さんで、アレンジされたサウンドの中でいつも通りの詞と声を聴くとかえって新鮮に感じます。
Let the journey bring you home and
You will never feel alone
Now the storm passed us by
We’ve become a rainbow
訳:
もう旅は終わり、
君はもうひとりじゃないよ
嵐は過ぎ去って
僕らは虹になった
対応する原曲の詞:
曲がりくねってた ふたつの旅路は
ここでひとつ 虹になれ
ふたりは巡り会い、それぞれ愛を探し求める旅を終えて、虹になった。
翔さんがオトノハでここがお気に入り、と言ってましたがロマンチストですねぇ...(個人の感想です)(stormって言葉が入ってるからお気に入りなのか)(しんどい)
思い出ずっとずっと追いかけた夢
ふたりが遠くへ行っても
どんな辛い夜も くじけそうな誓いでも
笑ってもっと最後のLady
きっとそっと願い届く
Every day and every night it’s Love so sweet
訳:
どんな日も、どんな夜も
対応する原曲の詞:
明けない夜はないよ
原曲の詞そのままの部分その2。(一部英詞あるけど!)
ここの詞が今だからこそとてもとても沁みる〜〜〜......
終わりの見えない混乱の中で毎日不安とか寂しさでいっぱいだけど、そんな中で「笑ってもっと最後のLady」と聴くと、ああそうだ笑顔を忘れちゃいけないよね!と思えるし、「きっとそっと願い届く」って5人が言ってくれたら本当に大丈夫な気がしてきます。(詞の検討でもなんでもないただの感想文になってしまった)
ここで「明けない夜はないよ」だけが英詞になってるところにメッセージ性を感じるのはさすがに考えすぎかな〜...
翔さんがいつか「明けない夜はない、は二重否定の表現。二重否定は強い肯定だよ」と教えてくれたときから、辛いときしんどいときはこの言葉を思い出して踏ん張ってきたので、世界中が苦しい状況にある今、この部分が英訳されて全世界に向けて発信されたことには何か意味があるのではないかと勘ぐってしまうのです...。
伝えきれぬ愛しさは 花になって街に降って
原曲の詞そのままの部分その3。
ここが英訳されたらどんな歌詞になってたのかな〜とひとり想像にふけってしまうくらいには、ここの英詞を見てみたかった。どなたか英語得意な方、素敵な訳があったら教えてください(丸投げ)
けれど、ここの部分が原曲そのままで歌割りも同じだからこそ、Love so sweetの世界観が守られている面もあると思うのです。原曲のまま詞を残した部分と英訳した部分、どういう基準で選んだのか知りたい......。
Wherever, whenever, forever
You know I’ll always feel you here
訳:
どこにいても、いつでも、永遠に
僕はいつも君をここに感じてる
対応する原曲の詞:
どこにいても君を”ここ”に感じてる
「どこにいても」に「いつでも」「永遠に」を重ねてあるのがぐっときます。
I'll (I will) always feel you here. なのがまたいい。「これから先ずっと」という、未来に向かう時間の広がりを感じられて好きです...。
このあと落ちサビ、大サビを経て曲は終わります。(繰り返しなので改めて記載はしませんでした)
*
ここで、私がなぜ、嵐の曲の中でLove so sweetが一番好きなのかお話ししようと思います。
小学5年生で嵐ファンになった私。中学生になり、ツタヤで過去のアルバム(ARASHI No.1〜ドリアラまで)を全部借りて、ウラ嵐マニアで歴代カップリング曲を手に入れ、それまで知らなかった大量の曲たちに出会い、その喜びから「アルバム・カップリング曲が好き=通」だと思い込んでいた時期もありました。当時はシングル曲を軽視していたのです。シングル曲は別にファンじゃなくても知ってることが多いし、ファンじゃないとわかんないような曲を好きだって言ってるほうが何かかっこいいじゃん?って思ってました。
でも、それからさらに何年かファンを続けて、嵐のいろんな面を見て、新しい曲を聴いて、昔の曲も聴き直した上で、改めてシングル曲の魅力に目を向けるようになりました。
もうこれは個人の感覚の問題だと思うのですが、シングル曲には特有のキラキラ感があると思っています。曲をシングルカットするということは、その一曲のためにMVや衣装を作り、いろんなメディアでプロモーションをして、一枚のCDとして売り出すということ。さらにドラマやCMとタイアップするとなれば、その作品やブランドのイメージも背負うことになります。シングル曲は、それに耐えうるだけのしっかりとした作品でなければならないということです。だからこそ、アルバム曲やカップリング曲にはないオーラを纏っているのだと思います。
私、嵐の曲だったら何が一番好きなんだろう。
高校生になり、前よりは少し大人になった私は、ある時ふと思い立ってあらゆる曲に思いを巡らせました。
その中で一際輝きを放っていた曲がありました。
ああ、なんで今まで気付かなかったんだろう。一番付き合いが長い曲だからこそ、当たり前すぎて見逃していたのかもしれません。まるで、曲中の「僕」のように。
運動会の学年種目のダンスで踊ることになった曲を学年みんなで聴こうと集められた部屋の中。当時小学3年生の私はドラマやアイドルの類にはまるっきり疎くて、この曲のことは全く知らず、盛り上がる周囲をよそに、配られた歌詞カードをひとり見つめていました。
流れ出した曲は一瞬で私の心を掴んで離さなくて、夢中でその曲に聴き入ったのを覚えています。あのとき感じたときめきが、嵐ファンとしての私の原点。そのことを思い出したのです。
それから、嵐の曲の中で一番好きな曲はずっとLove so sweetです。
恋が始まる音がするイントロ、
キャッチーなメロディー、
それでいて詩的で考えさせる歌詞、
爽やかで、でも少し肩の力が抜けていて余裕も感じさせるキラキラしたサウンド。
何度聴いても色褪せることを知らない名曲。この曲だからこそ、嵐の知名度と人気を一気に引き上げることができたんだろうなと、聴くたびに思います。
そんな一曲が、今回こうして英詞も交えて生まれ変わって、世界中に発信されたのがうれしくてたまりません。国を問わず、普遍的に愛される曲になったら素敵だなあと思います。
*
MVの最後の最後。
メンバーカラーに彩られた5台の車が走り去ったあと、一台のピンクの車が遅れて走っていきます。MV中、ピンクの車が登場するのはここだけです。
5台の車はメンバー、ピンクの車はファン。
そう解釈するならば、この曲全体が、5人からファンに向けてのメッセージのように聴こえてきます。
全世界に向けて曲を発信したかと思えば、その一方でファンに向けてこっそり愛情表現してくれる5人が大好きです。どこまでも普遍的な存在になるのかと思いきや、内野を大切にすることを絶対に忘れない5人には信頼しかありません。
2008年。嵐が初めて、旧国立競技場でコンサートをしたとき、その一曲目に選んだのはLove so sweetでした。
それから12年。新国立競技場で初めてのコンサートをする予定だった5月15日に、嵐はLove so sweet:Rebornをリリースしました。
そのことを思って聴くと、嵐フェスが延期になって振替の日程の見通しすらついていない悔しさがじわりと心に滲んでくるのですが、それ以上に、このタイミングにリリースを設定した嵐の粋な計らいに震えます。この曲のパフォーマンスも待ち遠しいです。いつ見られるかな...。
またひとつ、心から好きだと言える曲が増えました。
今日もまた、国立で5人が満開の笑顔でこの曲を歌う姿を想像しながら聴いています。
どうか実現しますように。