寝ても覚めても

あなたのことばかり。

七夕の夜、ねるちゃんが帰ってきた。卒業からもうすぐ1年、に寄せて。

 

七夕の夜、友人から思わぬ一報が飛び込んできた。

「ねるちゃんが帰ってきた」

 

芸能界復帰、レギュラー番組決定。しかもその番組は早速その夜から放送されるという。

オフィシャルサイトで確認したその姿は、以前よりぐっと大人っぽくなっているように感じた。ふわふわした気持ちのまま本人からのメッセージに目を通し、本当にねるちゃんだとようやく実感が湧いた。ああ、ねるちゃんの書いた文章だ、と。知的で、でもどこかのんびりしていて、読んでいる間は自然と心が解れるような、そんな文章。久しぶりに読んで、何だか泣きそうになった。

 

以下、ねるちゃんが復帰するなんて夢にも思っていない、7月7日以前の私が書いた文章です。(最後に現時点でのあとがきをつけてます)

7月30日、ねるちゃんが欅坂46を卒業して1年が経った日に上げようと思っていたものなので、やたらアイドル時代のねるちゃんを偲びまくってて今となっては何だかおかしい感じがしてしまうと思うんですけどそこはすいません、先に謝っておきます......。

 

***

 

2019年7月30日

ひとりのアイドルが、アイドルをやめた。

彼女の名前は、長濱ねる。

 

7月30日が終わり31日になったとき、彼女はひとりで、最後のオールナイトニッポンの放送に臨んでいる最中だった。

日付が変わった後のCM明け、彼女はいつも通りのふわふわ優しい声でこう言った。

「改めまして、こんばんは。『ただの人』になった、長濱ねるです」

 

暗い部屋でベッドに横たわりながら、私はその言葉がずぶずぶと心に突き刺さっていくのを感じた。

正真正銘、「アイドル・長濱ねる」は、たった今死んだ。

そして彼女は、ひとりの「ただの人」に生まれ変わったのだ。

 

彼女が本当の意味で「ただの人」になることはもうないかもしれない。それが容易く実現するには、彼女はあまりにも有名になりすぎた。

それでも、彼女が「『ただの人』になった」と宣言した言葉の重みは変わらず確かなままだ。彼女は自らアイドルになることを選び、自らアイドルをやめることを選んだ。

 

20歳の決意を改めて眼前に突きつけられ、日付を跨ぐ前よりもっとずっとその声が名残惜しくなった私は、声をしかと耳に焼き付けようとそっと目を閉じて、スピーカーに全神経を集中させた。

 

 

私はもともと、女性アイドル、とりわけ学生の頃から活動しているような、しかも幼少期から芸能活動しているわけではなく、オーディションで見出されて、そこからわずか1年ほどでアイドルとしての訓練を受けてデビューしているような、そんな女性アイドルが嫌いだった。

理由は、同世代の女子がキラキラしているのが、羨ましくて辛かったからである。早い話が嫉妬だ。幼少期から訓練しているならまだしも、ついこの間まで素人だったなんて。嘘だ嘘だ、じゃなきゃこんなオーラを纏えるわけがない、これは何かの間違いだ、と。

 

私にはアイドルになれるような顔もなければスタイルもないし、歌も大して上手くないし運動音痴だからダンスも苦手。

勉強だけが取り柄のようなもので、だからこそライトに照らされて綺麗な衣装を着て、キラキラ輝く同世代なんて見ていられなかった。憧れる心の余裕がなかった。幼い頃からテレビをたくさん見て育ったテレビっ子だから、「テレビに映る=すごいこと」だというイメージが過剰に強かったのもあり、こんな人生が、容姿次第で、才能次第で私の人生にあったのかもしれないと思うとたまらなかった。ただただ、自らの生まれ持ったものを呪った。

 

どうして私は今こうしてただ田舎の家にいて問題集を解いているのだろうか。

彼女たちはかわいいからあそこにいられるのか、注目されるのか。天は二物を与えずなんて大嘘だ、あの子たちは私よりも短い時間しか生きていないのに全国に名を轟かせスターになっているじゃないか…

 

今考えればとんだひねくれ者である。お門違いにもほどがあるし、一度だってオーディションに応募したことすらないのに。

ただ当時の私にだって、自分の中で渦巻くこの感情が間違っていることくらい自明だった。それでもやっぱり私の心は彼女たちを受け入れなかった。

 

型破りなアイドル像を提示し、一躍注目を集めた欅坂46は、まさにその典型だった。

センターの子はなんと中学生だという。このビジュアルで…と唖然とした。しかもついこの間まで愛知在住のバスケ少女だったという。こんなかっこよくて運動までできるのかよ…表現力もすごいし…

彼女が特別だということは、女性アイドルについて大した知識を持たない当時の私から見ても明らかだった。だからこそ拒絶した。彼女に、私は勝手に完敗していた。勝手に私と彼女のスペックを比べ、瞬時に負けたと判断し、これ以上自分が傷つかないように彼女を視界から排除した。脆くて壊れやすいプライドを守るため、私は見えない何かと戦っているみたいだった。

 

私は高校を卒業し、実家から通える地元の大学に進学した。

本当は県外に進学するつもりだった。地元の大学はどこもA判定しか出なかったから、より偏差値の高い、難関といわれる大学に進学するのが目標だった。

しかし、母の大反対にあい、それは諦めた。

どうにか認めてもらおうと何度も説得したがどうやってもだめで、受験勉強に支障が出るので高2の夏に県外進学をすっぱり断念し、地元大学に照準を絞って勉強した。

そんな経緯があったから、大学に進学した時の周囲の反応には素直に喜べなかった。家から通える国公立大学に通うなんて親孝行ね、と褒められ、それに対し笑って返しながらも、心の中では「ほんとにな」と吐き捨てた。実際、大学進学にかるお金は最低レベルに抑えた自負があった。

地元大学は、全国規模で見るとそうでもなくても地元での信頼はすごくて、特に年配の人には圧倒的ブランド力を誇る。だから地元大学への進学という選択は非常に大人受けした。どこかに出かけて帰宅するなり母が、娘さん、〇〇大進むなんてすごいですねって△△さんに言われた、と逐一誇らしげに報告してくるのをふーんと流しながら叫び出したい衝動に駆られた。あなたはこれで満足してるかもしれないけど、私はしてないからな、と。

大学に入ってから始めたSNS。顔が広い高校時代の友人のアカウントと繋がったことで、次第と繋がる人数は増えていった。次第にタイムラインに眩しい都会の暮らしが映し出されるようになった。

もしかしたら、私もここにいたかもしれない

そう思っただけで辛かった。皆が泣いて恋しがる実家に、私は今日も暮らしている。慣れない一人暮らしの中、みんな強くなっていく。大人になっていく。私は、高校の時と大差ない。体から力が抜けていくようだった。嫉妬も、焦りも、自分の醜さや器の小ささを見事に反映していて心底嫌だった。なんで私は、みんなの都会暮らしを純粋に応援できないのだろうか。

 

そうは言っても大学生活は楽しかった。

出会う人たちはみんな、それぞれに事情を抱えてこの大学への進学を希望し、入試を突破して同じ場所に集っていた。当たり前のことだが、それは結構うれしいことだった。私が屈折した思いを抱えながら通うこの学校に、心底入りたくて入った人もいるし単に学力のレベルが合致したからというだけで受験し入学した人もいる。そのバラバラ感が心地よかった。

 

そんな夏の日、私はある同級生に出会った。

県外からやってきた彼女は、私が大学に入って一番最初に仲良くなった子の友人だった。最初は互いに名前を名乗り合って、軽く挨拶する程度の関係だった。その日は雨で、彼女が持っていた虹色の傘は、くすんだ景色の中で一際鮮やかだった。

その後、嵐ファン同士だということがわかり、担当も一緒ですっかり意気投合し、よく話すようになった。その中で、彼女は応援しているというアイドルを紹介してくれた。

 

長濱ねる

 

それが、ねるちゃんとの出会いだった。

なんでも、彼女と同じ県出身の同学年だという。

見せられた写真には、甘いルックスの可憐な少女がいた。

 

かわいい

 

率直に、そう思った。

こんなかわいい子、いるんだ。

 

そして彼女はあの欅坂46のメンバーだという。

当時の私にとって欅坂46といえば、サイレントマジョリティーと不協和音だった。女性アイドルに興味のない私の耳にも届くくらい、この2曲は話題になっていた。

あんなに激しく大人への反抗を歌うグループにねるちゃんがいるなんて意外だった。もっと射抜くような目を持った子ばかりいるんだと勝手に思っていた、平手さんのように。

 

その後、実は最初に仲良くなった子も欅坂のファンだということがわかり、彼女からアルバム「真っ白なものは汚したくなる」を貸してもらうことになった。

正直、欅坂の曲はあまり好きではなかった私は、最初はただ耳元で音を垂れ流すことしかできなかった。何ひとつ、心に引っかからなかった。ドラマチックな展開の曲が多いなあ、くらいしか思えなかった。はじめの一周は作業でしかなかった。

 

大人についていく。大人の言うことを聞く。

私はこれで、大体のことがどうにかなってきた人間だった。

幼稚園の頃、いつも先生の言うことを聞かず怒られていじける男子を見て、なんであの子はいつもそうなんだろうと思った。ただ言うことを聞けばいいだけなのに。そうすれば怒られないし、そんな不服そうな顔をすることもないのに。

昔から、年上にはかわいがられるタイプだった。言われたことを言われた通りにやる。宿題は指示された通りにやって、期日までに出す。人よりも比較的上をいく成績は、その積み重ねだった。すごいね、とは言われるけど、私からすれば当然の結果だった。思い通りに動かない鈍臭い身体のおかげで体育だけは小中高通じて低評価しかつかなかったが、あとは努力次第で大体どうにかなった。その証拠に、どうしても頭が受け付けず逃げ続けた数学は、最後まで満足に伸びなかった。努力しなかったのだから当たり前だ。

だから、大人や学校を嫌い批判する内容の曲には全く共感できず、むしろ反抗心が募った。大人、学校は私を構成する大切な要素だったから。その過程をすっ飛ばしたい、さっさと大人になりたいなんて甘えだ。気に入った曲といえば、「二人セゾン」くらいだった。

 

季節は移り秋になり、「二人セゾン」が似合う季節になった。この曲だけは好んで聴いていた。

気に入った曲は1曲だけだったのに、不思議と欅坂から心が離れ切ることはなかった。私と気の合う友人2人が揃って好きなアイドルグループが、私にハマらないなんてこと、あるんだろうか。そのことがずっと引っかかっていたからだ。それに、2人との共通の話題がほしかった。そんな下心もあり、私は初めて欅坂46の公式サイトを開き、メンバープロフィールを見た。ねるちゃん以外のメンバーの顔を、初めてちゃんと見た瞬間だった。

50音順に1人ずつ確認していくと、早速2人目で気になる子を見つけた。

今泉佑唯

偶然にも同学年で身長も私とほぼ同じ。

しかもその日は、彼女が療養から復帰し、活動を再開したその日だった。

そのことを伝えるブログを読みながら驚き、こんなことを思った。

これは運命だったりするのか?

結局彼女は推しにはならなかったし特に追いかけることもなかったのだが、この勘違いが結果として私を欅坂の世界に一気に引き込むことになったので、ずーみんには感謝しなくてはならない。

その日の学校からの帰り道、バスに揺られながらネットを物色し、彼女にソロ曲があることを知った。しかもその曲は、あんなに何も引っかからなかった例のアルバムに収録されているという。急いでカバンからウォークマンを取り出し、曲を再生してみて驚いた。

「夏の花は向日葵だけじゃない」

透き通った歌声。それを包み込むピアノとストリングスの音色。切なく胸がきゅっと締まるような詞。こんなにいい曲だったなんて。何も感じず聴いていた自分が信じられなかった。

その後、ゆいちゃんずの「渋谷川」「一行だけのエアメール」も聴いてまた驚いた。なんだ、めちゃくちゃいい曲じゃん。この時、欅坂46というグループが持つ幅の広さに興味がわいてしまった。

 

そして同じ頃、私はねるちゃんが欅坂のメンバーになるまでのいきさつを知った。

きっかけは友人2人の何気ない会話。長崎出身の友人が、地元テレビ局のねるちゃんへの対応に憤っていた。

「ねるちゃんにサイマジョの振り付け訊くなんて信じらんない」

なんでも、ねるちゃんが故郷・長崎で凱旋取材を受けることになり、各局それぞれがインタビューを行ったのだが、とある局のインタビュアーがねるちゃんにサイレントマジョリティーの振り付けを教えてほしいと依頼し、ねるちゃんはこれに応じたのだという。

え?なんで?ねるちゃん、欅坂のメンバーでしょ?何がいけないの?

そう尋ねると、2人は揃ってこう返した。

ねるちゃん、途中から加入したんだよ。サイマジョには、もともと参加してなかったの。

想定外の答えだった。どこからどう見てもねるちゃんは欅坂のメンバーだったし、そこに何の違和感も抱いたことはなかった。え?だってねるちゃんって平手ちゃんと並ぶ二大巨頭でしょ?ほら、不協和音で「僕は嫌だ!」だって担当してるじゃん。

 

2人は、ねるちゃんが欅坂に加入するまでのいきさつを教えてくれた。

あまりに数奇な展開にただ驚くばかりだった。同時に、お母さんにアイドルになるという夢を制止されて、一度挫折を味わっている、という点に、勝手に親近感を覚えた。

夢に見た県外進学を諦めた私。運命に導かれるように、結果としてアイドルになったねるちゃん。

結末は全く違えど、ねるちゃんのことを、ただキラキラ輝くアイドルとしては見られなくなった。何となく、他人だとは思えなかった。

 

あの小さな背中に、欅坂の最終オーディションを受けられなかった過去も、けやき坂46という新グループのメンバー第1号としての重圧も、欅坂とけやき坂の兼任というハードワークも背負っていたなんて。それでいて、あんなに朗らかな笑みを浮かべていたなんて。

 

その日から、私がねるちゃんを、そして欅坂を見る目は明らかに変わった。

辛いことも苦しいことも、私なんかの想像が及ばないくらいたくさんたくさんあっただろうに、それを感じさせない穏やかで甘い空気感で人々に癒しを届けるその姿。ねるちゃんは置かれた場所で美しく咲いていた。

 

ねるちゃんの過去を知ったことをきっかけに、他のメンバーにも加入に至るまでのストーリーがあることを知った。乃木坂に憧れた少女、震災で被災した際、地元を訪れて励ましてくれたアイドルに憧れた少女、学業を優先してほしいと反対する親を説得してオーディション応募にこぎつけた少女、何かに夢中になりたい一心で応募した少女......様々な背景を持つ「ついこの間まで普通の女の子」だった少女たちが欅坂46というアイドルグループとして結集し、同じ方向を向いてひとつの世界観を作り上げているその姿に、今までにない胸の熱さを感じた。

 

欅坂が世に訴えかけるのは、単なる大人への反抗ではなく現代社会のリアルだ。

曲中の「僕」は、世の中に思いっきり噛み付いたり、何となくその淀みに身を預けてみたり、弱さにそっと寄り添ったりする。その「僕」を、21通りの人生をまるっと包摂した欅坂46が全力で歌い踊って演じることに意義があるんだ。そこが彼女たちの魅力なんだ。

いつの間にか私は、すっかり欅坂のファンになっていた。

 

同時に、このまま腐ってはいられない、と思うようにもなった。同世代の女の子たちが欅坂46という壮大なプロジェクトに青春を懸けていることは、私にとって大きな刺激になった。この大学に来たことだって、何かの巡り合わせに違いない。このまま不本意な気持ちを引きずったまま4年間を空費するなんてあまりにもったいない。

 

 

この約1年後。

私は縁あって、欅坂の全国握手会に参加することになった。

12月のインテックス大阪は朝から雨が降っていて、でも人は多くて、長時間の待機は決して楽なものではなかった。

しばらく並んでようやくミニライブの整理券を手にした。友人と引き当てた場所はステージ真正面の最前ブロック。奇跡的な引きに2人で歓喜しながら、開演を待った。

 

照明が落ち、開演。目の前のステージで、テレビの向こう側の存在が舞っている。しばらく信じられなくて、眼前の夢のステージと、背後から響く凄まじい声量のコールに挟まれて、ただ立っていることしかできなかった。

 アイドルってすごいなぁと、馬鹿みたいな感想ばかりが浮かぶ。曲ごとに、ユニットごとに、見せる表情が全く違う。ジャニーズ以外のアイドルを生で見るのはこれが初めてで、ジャニーズとはまた違った魅力に圧倒された。

私は、欅坂では尾関梨香ちゃんを推している。ねるちゃんが出ていると聞いて何気なくバスルームトラベルのmvを見た時に一目惚れしてしまった。私の中で、おぜは推しで、ねるちゃんは推しとかそういう次元を超えた存在だった。推しどうこうというよりは、私の人生を変えた恩人、という感じで。推しと呼ぶには、あまりに神々しい存在になっていた。

だからこの日、一番楽しみにしていたのは「音楽室に片想い」のパフォーマンスだった。

あまりの興奮で正直よく覚えていないのだが(ポンコツ)、世界中の”かわいい”を全部このステージに集めてきてぎゅっと凝縮した感じだった。めちゃくちゃ伝わりにくくて申し訳ない。とにかく”かわいい”の権化だった。

 

握手会では、おぜともんちゃん、みーぱんとこの日をもって卒業したよねさんの4人と握手した。新幹線の時間まであまり余裕がなくてソロレーンに並べなかったのが心残りだったが、それにしても推しと実際に触れ合えるってすごいことだ。握手した時のことは、すごすぎてこれまたよく覚えていない(ポンコツ)ジャニーズではありえない距離の近さにずっと震えてたし、帰りの新幹線の中でもずっとふわふわしていた。

 

思えばあの日が、ねるちゃんを生で見た最初で最後の日だった。

この約2ヶ月後の2019年3月2日、ねるちゃんは自身のブログで卒業を発表した。

 

 

7月30日。

私は、友人とともに映画館にいた。ねるちゃんの卒業イベントのパブリックビューイングを見るためだ。

 

私にねるちゃんの存在を教えてくれた友人は、OP映像から泣いていた。そりゃそうだよね、デビューからずっと応援してたもんね。

私がいた映画館は終始とても静かで、光量を気にしてかペンライトを点灯させる人すらいなかったけど、声には出さない無言の愛情を感じた。ねるちゃんがステージに出てきて、100年待てばを歌って、最後のこち星でたわいもないおしゃべりをして、手紙を読んでくれて、この日のために作った曲を歌ってくれて、会場のファンを全員丁寧にお見送りして。それをずっと、黙って見届けたあの会場の空気感はどうやっても忘れられない。すべてのオタクに通じる普遍的なあたたかさを感じて、私はとってもうれしかったし、この環境でねるちゃんの卒業を見届けられて本当によかった、と心から思った。

ねるちゃんは、イベントの間ずっとずっと朗らかで、まるで女神様みたいだった。イベントの細部までこだわりが尽くされていて、ねるちゃんの思い、願い、好きなものが詰まっていて、悲しいお別れの場所のはずなのに、「幸せな空間」という表現が一番しっくりきた。本人がここまで全力を尽くして準備してくれたんだと思ったら、未練なくすっきりした気持ちでお別れできたのだから不思議だ。ねるちゃんは最後の最後までプロだった。

 

そして、冒頭で触れたオールナイトニッポン

 正真正銘、これが最後の肉声になるぞと緊張感を持って聴こうとしたのだが、ねるちゃんのトークのゆるさと穏やかさにすっかり心を解きほぐされてしまって、普通にリラックスして聴いてしまった。やっぱりねるちゃんは人を癒す天才だった。

でも、あのセリフではっとしたのだ。「『ただの人』になった」という、あのセリフで。その声音からは、一種の清々しさを感じた。解放されたって感じなのかな、と思ったらちょっと寂しかったけど、同時にこれからどんな人生を歩んでいくんだろう、とねるちゃんのこれからに勝手に思いを馳せた。なんでも、ねるちゃんはそうめん専門店「そーねる」を開きたいらしい。お店ができたら絶対に行くと心に決めた。

 

何にだって、終わりはくる。ねるちゃんのオールナイトニッポンも、あっけなく終わってしまった。私はベッドに横になったまましばらく呆然として、続いて始まった次の番組を、しばらく耳元で垂れ流していた。

 

 

あれから1年が経つ。

この間に、私の人生は思わぬ方向に転がった。

就職はせず、大学院に進んで、国家資格の取得を目指しさらに勉強を続けることにした。目下、院試に向けて受験勉強の真っ只中。入学当初は就職以外の道は全く考えていなかったというのに...人生というのは分からないものだ。大学院の学費は決して安くない。これがもし県外進学していたら、就職以外の道は絶対にありえなかった。

 

ねるちゃんの存在を教えてくれた友人は、今や親友と呼べる存在になった(彼女もそう思ってくれてたらうれしいけど...)。 何だかお互い空気感が似ていて、一緒にいてとても居心地がいい。可能なら同居したいくらい。しかも、一緒にSnow Manを追う相方になった。このブログのSnow Manカテゴリーの記事にたびたび登場する「相方」とは、実は彼女のことである。

 

県外に進学しなければありえなかった魅力的な出会いもたくさんあっただろうけど...と考えてしまいがちだったが、あくまでそれはタラレバの話でしかなくて、それは絶対に仮定の域を出ることができない。だからこそ、過剰に美化することもできるし、逆に悪いものとすることもできる。

だからこそ、いったんそういうのを全く抜きにして、実際に起こった出来事に集中すると、1年生のときは不本意でしかなかったそれが、不思議と悪くないものに見えてくるのだ。それどころか、県外進学してキラキラの都会暮らしをしているみんなに自慢できるくらい、素晴らしいものに見えてきた。これがすべての答えだろうと思う。私は屈折した思いを抱えたまま入学したこの大学で、結果として大切な人たちに出会い、新たな夢を見つけた。

学校帰りに近くのスタバに寄っておしゃべりすることはできなくても、食堂の80円ケーキを買って延々とだべることはできる。ガラス張りのおしゃれなテラスはなくても、年季の入った、だからこそ落ち着く学部ロビーはある。好きな時間に出入りできる一人暮らしの部屋はなくても、家族が同居していてセキュリティーも福利厚生も抜群の実家はある。これでいい、いや、これ「が」いい。置かれた環境でいかに咲くか、その大切さを教えてくれたのは外でもないねるちゃんだ。

 

あんなに拒絶していた女性アイドルは、今や私の大好きなジャンルのひとつになった。特に坂道は、生活のメインには置いていないものの、新曲が出れば必ずチェックするようになった。自分でも随分変わったものだと思う。

 

 

ねるちゃんが今どこでどうしているかなんて知る由もないけど、きっと世界のどこかで、今日もあの笑顔で誰かを笑顔にしていることだろう。私がねるちゃんの笑顔に救われたように。

 

***

 

......なーんて思ってたら帰ってきてくれたんだから、やっぱり人生は分からないものだと思う。もう二度と会えないかもしれないしな、あーあの握手会に行った時、少々無理してでもねるちゃんに会いに行っとけばよかったかなぁとか、さっきの文章を書きながらぐるぐる考えてたから、今はただ、これから会えるチャンスがあるかもしれないという事実がすごくすごくうれしい。

 

外は土砂降りの雨。天の川なんて絶対に望めない天気だけど、七夕の夜にねるちゃんは織姫のごとく舞い降りてきた。しかも七夕の夜が明けても帰らないという。毎週、その姿をテレビ越しに見せてくれるという。Twitterも開設したという。こんな恵まれたこと、あっていいんだろうか。

 

とにかく今は、また元気な姿を見せてくれたことに最大級の「ありがとう」を!

これからの活動、楽しみにしてます!!!