こんなに濃い30分間は、初めて。
観終わって率直にそう感じました。
そして、
「私はステージ上で光を受けて歌って踊る嵐が好きだ」
と、改めて再認識しました。
再認識の度合いがあまりにも強くて、今はただ胸が苦しい。
受け入れたはずだった休止が、今はとても嫌です。辛いです。
休止発表のFC動画、心臓バクバクで再生し始めて、大野さんの言葉を聞いてめちゃくちゃ安心したんです。
休止の理由が、本人たちのためのものであってくれたと。外部的な理由じゃなかったと。
動画の中の嵐はどこまでも嵐だった。
どこまでもファン思いで、正直で、まっすぐで、そして何よりメンバー思い。
その姿を見て、肩の力が抜けたのを覚えています。
解散はしない。
嵐という存在自体が消滅するわけじゃない。
あくまで、5-1=0。
活動休止発表直後の私は、そこに救われていました。なら大丈夫だと。
しかも2年の時間をくれた。
なんて優しいんだと思いました。
普通、活動休止にしても解散にしても、
発表からそんなに時間を置かないイメージがあったので、2年というのはとても長く感じて。
これ以上嵐に何を求めるんだ、と。
そう思っていました。
悲しい、辛い、信じたくない。
ネットにあふれたこうした言葉たちに、正直あまり共感できませんでした。
いや、確かに悲しかったし、信じたくはなかったけど、それ以上に心がまず空っぽになっていて、そこにネガティブな感情より先に、5人からの愛情とか5人への感謝とかほんとうに心の底から好きだ、応援しててよかった一生ついていくという思いが一気に注ぎ込まれてそれだけで心がいっぱいになったから、ネガティブな感情に支配されることなく比較的冷静でいられたんだと思います。
休止発表のFC動画も、会見も、そこから一週間途切れることなく続いたweb更新と番組出演のリレーも。満たされすぎて、当時は心が飽和状態になっていました。それは、そのひとつひとつで、嵐5人が世界のどのグループにも負けない輝きを放っていたから。私はそれを1ファンとして見ていて、ほんとこの人たちすごいや、一生手届かないや、と、人生で経験したことのないレベルのあまりのすごさに、眩しさに、半ば呆然としていたと言ってもいいかもしれない。
それくらい、もう悲しいとか辛いとか切ないとか、そういう感情とは別次元にいました。
それからも、発表から心なしかよりぎゅっと内側に寄り集まったような、もっとがっちり団結したような、そんな5人を観ていて、シンプルに幸せで。そんな中で今日のSONGSがやってきました。
歌披露のラッシュの中でも、SONGSは別格レベルで楽しみにしていました。
個人的にNHKの番組は好きなものが多くて、CMも入らないし高画質だ(...な気がする)しどれも質がいい。紅白も制作してるわけですから、信頼しかありません。
嵐デビューから、選曲された3曲を軸に20年間の歴史を辿っていくという構成。
ちょっと脱線しますが、個人的には翔さんのラップに対する思いが聞けたのがとてもとてもうれしかった...!
地上波でここまでラップについて語ることないと思うんですよ...しかも過去映像つきで。ヒップホップの武者修行してたこと、恥ずかしながら知りませんでした...やっぱり自分は永遠の新規だと実感しました。嵐が売れてから(5×10から)ファンを始めた人間なので、売れてない時代を知らなくて。あとから聞いた話で「あの頃は大変だったんだ」って知るしかなくて、そこにどうしても埋められないギャップを感じるし、当時から応援してるファンの方とか、今はもうファンじゃなくても当時の嵐を支えていた方には、感謝しかないです。リスペクトの気持ちでいっぱい。物心ついてない時はしょうがないとしても、もっと早く嵐を知って、子どもだからガンガン投資はできないにしても、その時間を共有することはしていたかったなあなんて改めて思いました。
a dayは会場の一体感が想像をはるかに超えてて最高でした。休止発表直後のMステを思い出す盛り上がり。「アーティストと観客が一体となるコンサート」という翔さんの言葉がそのまま実現したようなステージでうれしくなりました。「5×?」「20!」のコーレスも成立してましたね!
そこからのtrack2。紅白初出場や5×10国立公演はしっかりと記憶に残っていました。ようやく私の嵐歴が追いついてきた!という感じです。
嵐の知名度をぐっと上げたLove so sweet。
どんなパフォーマンスなんだろうとワクワクしていると、まずセットの美しさに息をのみました。奥に突き抜ける広い空間に、やわらかく伸びる何本もの光。
その中で白を基調とした衣装を纏い、眩いばかりの光に照らされる5人は、まさに私がイメージするアイドル像そのものでした。
そこではたと思い出したのです。
私にとってのアイドルの原点は嵐だと。
休止発表から、2021年から推すアイドルを探していました。そして実際に巡り会った。もちろん彼らのことは大好き。でも。
結局は嵐なんだと。そこに代わるものはないのだと。痛いくらい突きつけられました。
彼らがそっくりそのまま嵐に代わる存在になるとは初めから思っていませんしそれはそれで彼らに対して失礼なので...。
でも彼らを好きになったのも、大前提として嵐を好きだったからであって、そこから広がった世界の一部なんですよね。
最強で最上で最高で不変で不動で原点で頂点。
5人が変わらずそこで輝いていてくれるから私は他のところにも手を伸ばせた。
だけどあと一年半で、その輝きはいったん止まる。5人まとまった姿はいったん世の中から消え去る。私の原点は、影をひそめてしまう。
嫌だ。
嫌だ嫌だそんなの嫌だよ耐えられないよ。
受け入れていたはずの現実が、急にひどく残酷なものに見えて、私の中の何かが切れたような、崩れたような気がしました。
Love so sweetの5人は、とても言葉では言い表せないくらい、神々しいくらいにキラキラしていて。だからこそ余計に辛かった。
5人が真摯にファンに向き合ってくれるほど、
ファンを思ってくれるほど、
もっともっと別れが辛くなる。
そのことに、ようやく気づいてしまいました。
ああ、最後まで聞き分けのいいオタクでいたかった。2021年に入って、5人のいない年始に気付いて、どのCMにも5人がそろって現れない現実を目にして、それから散々泣いて悲しんで。それで十分だったのに。
「最後まで、笑っていよう」
会見でこの言葉を聞いてから、私はつとめて笑ってきました。5人と過ごせる時間は限られてるわけだから、せめてその間くらい笑っていようと。
けど、その決意をいとも簡単にひっくり返してしまうくらい、5人は唯一無二の尊い存在になっていました。
一瞬だって手放したくない。わがままだけど、そう思ってしまいます。2021年から寂しくないように、5人もいろいろ考えてくれていて、けどそれでもやっぱり、私の中で嵐はあまりに大きな存在になっていました。
track3での個人インタビュー。
5人は決して「絶対戻ってくる」とは言わないよな、とふと思いました。「ゴール」「最後まで」とは言うけど、その先には言及しない。「また5人が集まる時があれば」とは言うけど、そこに必ず、とはつけない。そこに寂しさも感じるけど、それ以上にどこまでも正直で誠実な5人を感じ取れてうれしいです。5人もまた、残りの期間を大切に噛み締めて過ごしていることが感じ取れて、胸がきゅうんとなりました。
そして3曲目の君のうた。
休止発表後に聴いていて、これ作詞した方休止すること知ってたのでは...?というほど嵐の今にマッチした歌詞に驚き、ことあるごとに聴き直しては5人を思っていたこの曲を、5人も「今だから聴いてほしい、伝えたい曲」だと思ってくれていることがうれしかったです。
花びらが舞う中、歌い踊る5人の美しさにただため息が出ました。芸術作品を観ているかのようでした。20年という長い時間をかけて醸成された、5人にしか作り出せないあたたかな空気がそこにありました。
様々な感情がぐるぐると渦巻いて、あっという間の30分でした。
後味に残ったのは切なさが強かったけど、
「同じ夢を見よう」という言葉通りに、とりあえず、5人と同じ景色を見ることに集中したいという思いに落ち着きました。悲しみにばかり囚われてたら、キラキラまで見逃してしまいそうで、それが一番もったいないと感じるので。もっともっと、5人との時間を大切にしたいと思います。
歩き出す明日は僕らで描こう
涙にくれたとしても 塗り替えていく
強さ教えてくれた君の温もりを