寝ても覚めても

あなたのことばかり。

いつも...雲間からまたkissを  5×20考察

書ける…ようやく書けるぞ…

考察記事~~~!!!!!

 

と!いうことで!

ついに夏休み(学生の特権)に入ったので今更ながら書きました!

今月末にとうとう5×20大阪公演に参戦するので、それまでにこの曲が持つメッセージを自分なりに整理して自分の中に落とし込んでおきたいと思ったのも理由です。考察自体なんとなく野暮な気もしましたが、自分の中で渋滞しまくってるこの感情に整理をつけたいがために書いたものなのでこれはもはや考察でもないのかもしれない(?)

過去の曲との繋がりも、拾える限り拾ってみました。

 

では早速歌詞の方に…といきたいところですが。

まず、この段階でお伝えしておきたいことがあります。

それは、この曲を解釈する上で重要となる(と私が勝手に思っている)視点、「人称」についてです。

具体的には「僕」「僕たち・僕ら・ぼくら」「君・きみ」「皆・みんな」は誰を指すのか、ということです。これをどう捉えるかによって、歌詞の意味が全く異なってきます。

上に、この曲の中で出てくる人称を全て書き出しました。便宜上、通常の場合は同じ意味をもつものはかぎかっこでくくりましたが、同じカッコ内にあるからと、この曲で持つ意味も一緒だと考えるのは危険です。

なぜなら、人称の漢字表記・ひらがな表記を使い分けることで、全く違う2人の人物を描き出した曲が存在するからです。しかもメンバー作詞で。

2007年発売のアルバム・Time に収録されているニノのソロ曲「虹」(作詞作曲はニノ)。詳細はググってほしいんですが(丸投げ)、この曲には「きみ」と「君」の2つの二人称が登場し、それぞれ別の人物を描いていると言われています。それによって、物語の持つ意味が激変するのですが、この違いには、耳から曲を聴くだけでは気づけません。漢字だろうがひらがなだろうが、読みは一緒だからです。

 この曲の作詞は「嵐」となっていますが、実際にラップ部分以外(この記事では歌部分と呼びます)の歌詞を書いているのはニノ。この曲にも何か仕掛けられていると考えても不思議ではないでしょう。実際、ニノが作詞した歌部分の歌詞には、音は同じでも表記が異なる人称がありました。一方、翔さん作詞のラップ部分には「僕」「僕たち」「みんな」が登場し、表記のブレはなし。

つまり、歌部分に登場する「僕ら」と「ぼくら」、「君」と「きみ」に違いはあるのかが焦点となります。

 

・人称が指す人は具体的に誰か

・「僕ら」と「ぼくら」、「君」と「きみ」に意味の違いはあるのか

これも検討しながら考察を進めていくので、頭の片隅に置いて読んでくれるとうれしいです。

 

前置きが長くなりましたがスタート!!

 

La la la la…

またここで君と逢えた。

 

5×10ではラストに使われていたメロディーが、5×20では冒頭に使われています。10年の時を超え、同じ音が再び紡がれる...この時点で感慨深い...。

またここで逢えた、ということは、主語と「君」ともにメンバーだとは考えにくいです。だって普段から会ってるわけですから。笑 こんなに壮大に歌い上げることはないでしょう。だから、ここでの主語は5人、「君」はファンだと考えられます。

何を当たり前のことを、とお思いの方もいることでしょう。

 

なんでここまで人称にこだわるのか、もう白状します。

5×20をはじめて聴いた時、一人称は5人、二人称はファンだと信じて疑いませんでした。その認識で聴いていても、なんの違和感もなかったからです。5×10の時もそうでした。

けど、TwitterのTLに流れてきたこのツイートを見て、はっとしたのです。

 

(掲載許可頂いてます。アオキムラコさん、ありがとうございます!)

この曲はファンへの感謝を伝えるためだけにあるんじゃない、メンバーに向けた曲でもある。

鬼鈍いオタクはその可能性に思い当たったことがありませんでした。

そのあと5×20のメイキングを観ると、スタッフさんから普段はファンのために歌ってるけど、今日は自分たちのために歌ってください(ニュアンス)との声掛けが。

加えて大野さんの口からも、「メンバーを思って歌っている」との発言が。

これたぶん今の解釈だと不十分で、改めてちゃんと自分なりにでも解釈しておかないと、現場でメッセージを受け止めきれずに後悔するかも...なんて思いまして。今回腰を据えて解釈してみようと思ったのです。

 

ということで。

今回の記事の半分くらいはは人称の話してます。(マジか)

普通の考察記事とは違った感じになるかと思いますがご了承ください…

 

大脱線した話を戻して…

勘のいい方はとうの昔にお気づきでしょうが「ここで君と逢えた」に通じる表現は5×10にもありまして。

「もしもあなたが泣いたら またここで逢おうよ

 この相変わらずなヤツらからただ愛贈る」

悲しいとき苦しいとき、そんな時にはここ(=コンサート)で会おうよ、と言ってくれた5人。

当時、嵐は既に国立コンサートを成功させ、コンサートチケットはプレミア化していました。それでもなお、人気が爆発しても、コンサート会場が大きくなっても、彼らの中でコンサートは、ファンと同じ空間を共有し感謝の気持ちを届ける場であり続けました。それを一番わかっているのは私たちファンではないでしょうか。

確かに会場の規模が大きい分物理的な距離は大きいし入りたい人があまりにも多いから入りたくても入れない人の方が多い。けど、嵐はムビステに乗ってファンの上を通過しながら移動してくれるし会場全体意識してファンサ飛ばしてくれるし(特に翔さん)コンサート終盤とかありがとう~~!って数えきれないくらい言ってくれるしはけるときも視界から消えるその瞬間まで手振ってくれる。しかも5×20に関しては計算上は全FC会員が一度はコンサートに行けるようにドームで全50公演もしてくれてます。1年以上にわたる壮大なツアーです。

嵐と歩んできた時間は人によってまちまちだけど、この「またここで君と逢えた」という歌詞を聴いた時に、それぞれの中にある5人との思い出、特にコンサートという場で5人と共有したあのキラキラした景色が一気に頭の中を駆け巡る…。そんな仕掛けなのではないかとすら、思えてくるのです。

 

そして流れてくるイントロ。大地を一歩一歩踏みしめるように刻まれるビート音が印象的です。5×10の時よりも曲の持つ力強さ、壮大さが増しているように感じられます。5×10からSong for youを経て、規模感が過去最大に膨らんでいるような。成長を止めない嵐、どこまでも新しい景色を見せてくれる嵐。私やっぱりこの5人についていくんだよなあ…。

 

出会って数年 あれは急で 共に過ごし生きてきたねgood days

“明日からcruising?” なんて言って 現在(いま)も隣にいるなんて運命

翔さんもwebで言っていた通り、Aメロ冒頭は5×10を踏襲した詞、メロディーになっています。

「出会って数年 あれは偶然な気もするね 気付けば10年」

突然の招集、結成からもうすぐ20年。「10年」が「good days」に詞を変えているのがぐっときます。いろんなことがあったけれど、いい日々だった。5人にとってこの20年が「good days」だったというだけでもう嬉しいやら愛おしいやらで胸いっぱい。

5×20メイキングで翔さんは、嵐のこれまでの歩みを、旅の足跡をたどるようにファンの皆さんにも感じてもらいたい、と言ってくれていました。そしてここでは、嵐としての旅を「cruising」、航海に例えています。メンバーの気持ちがひとつにまとまらないうちに始まった「cruising」。事務所に在籍し続けることにすら後ろ向きなメンバーもいた中、本人たちが状況をよく分かっていないまま結成されたグループが20年も存続するなんて、当時の5人からしたら本当に信じられないことだったんだなあと、この詞を読んで再認識しました。もはや運命でもないとこんなことありえなかったのかな…「この5人だったから」という理由でしか説明できないような、そんな運命的な繋がりを改めて感じます。

 

「嵐 探し 辺り騒がしい その凄まじい 騒ぎ まさに 嵐」

些細なことで笑うばかり “仲良い”なんて言われて たまに (ha ha)

ここではCOOL&SOULの詞がそのまま引用されています。

なんかこういうのほんといいですよね、「あ!これってあの時の!」って気付いてうれしくなれるこの感じ。嵐の曲(特にメンバー作詞作曲)って、過去の曲に使われたフレーズとか歌詞が散りばめられていることがあって、それに気づいて懐かしんだり思い出に浸ったりできるのも魅力だと思っていて。他グループでもこういうことってあるとは思うんですが、曲のストックがあるほど、グループが活動してきた期間が長いほど純粋にバリエーションが増えるしグループが歩んできた時の厚みを感じられてよりやる意義が増すと思うんです。だからこそ、今の嵐がやると刺さりまくるんです…20年の重みを心にずっしりと感じる…

 

COOL&SOULは、嵐を気象現象の嵐に例え、嵐の信念、やり方、いわばスタイルを尖った詞に乗せて挑戦的に表現した曲だと私は思ってるんですが、その曲中ではこれから世の中を見返して世界に嵐を巻き起こしてやる!というような、闘志に満ちた野心溢れるギラギラした嵐が描かれている一方で、その引用のすぐあとに、些細なことで笑い合い、仲がいいと評されるほのぼのとした5人の姿がある。対照的な表現に面食らうこの感じ、嵐の持つ二面性が垣間見えて何かゾクゾクします。

それに、嵐のこと、ただただ仲良しこよしの5人組だと思ってんだろ?今まで何があったか知りもしないくせに…とでもいいたげな、少々不穏な空気感を「なんて」「ha ha」から感じるのは私だけでしょうか…さすがに考えすぎ?笑 翔さんが「仲良い」というポジティブワードのあとに単純に微笑み、笑い声の意味でha haってつけるような人だとは思えないんですよね…普段あんな尖ったラップ詞書いてる人だから...どーせ昔から仲良くて馴れ合いでやってきたんだろ?みたいに根拠もなく偏見の目を向けてくる人たちへの冷笑、嘲笑に思える…

 

あの日に戻るとしても 変わらずに僕のそば 隣にいてよ… ね

どんな大雨の日でも こんなにみんなが… ねえ、ほら見ててよ(見ててよ)

あの瞬間(とき)の歌声を聴くと 想い出たちは どしゃ降りいつも

 

Oh Yeah!の「あの日に戻るとしても 同じ道選ぶだろう」を思い出しますね…。

「あの日」、cruisingを始めた日…つまり結成日に戻るとしても、嵐になる道を選んで、一緒に活動していたい。あのクルーザーの上で、ビーチで、隣にいてほしい。そこから始まる20年もの長い長い旅路も、一緒に隣で歩んでほしい。ここでの「僕」はメンバーひとりひとりのことで間違いないでしょう。

 

翔さんは5人のことを自ら気象条件の嵐、激しい雨風を伴い世の中を混乱させ革命を起こすような存在として描いていながら、自分たちに降る「大雨」「どしゃ降り」はネガティブな存在として捉えていておもしろいなあと思います。確かにいちパフォーマーとしては、多くの場合雨はうれしいものではないでしょう。嵐と大雨といえば、国立コン・Blast in Hawaiiで降った大雨が思い出されます。特に国立コンは何かと雨に降られて、もはや恒例化していたような。笑 ステージが濡れていると滑って危ないし視界も悪い、観客もずぶ濡れになってしまう。それでもみんな(=観客)は残って濡れながらでもコンサートに参加してくれる。

当然、ここでの「大雨」は比喩表現でもあると思います。苦しみ、焦燥感、様々な感情を抱えながらもアイドルとしてステージに立つ。そんな日々は今思い返せば大雨の中、どしゃ降りの中のよう。

だけどやっぱり自分たちには待っていてくれるファンがいるから。

雨の中でも熱い視線を送ってくれる人がいるから。隣には運命で結ばれた仲間、目の前にはいつも見ていてくれるファン。だから頑張れるし、そんなあなたにこそ見ていてほしい。

…なんて、さすがにファンに都合良すぎ?笑

 

少しの傷も沢山のkissを。

いつも…雲間から またkissを

ここです。ここが一番解釈困ったんですが、実は一番好きな部分でもあります(だからこの記事のタイトルにしてます)。

この部分は2番のある部分と併せて解釈するとわかりやすかったので、その時に一緒に書きたいと思います、なのでここでは一旦飛ばします。

 

過ぎ行く時の中で 無駄な物はなかった。

僕らはきみがいると、どこまでも飛んで行けるんだずっと、ずっと。

はあ……..(深いため息)

こういうシンプルな詞が実は一番ぐっさりくるんですよね…….

20年同じグループ同じメンバーで活動してきて長い時間かけて今を築いてきた人たちのこの言葉ほど説得力あるものないと思うんですよ…..無駄なものはなかったって言い切れるの最っっっ高にかっこよくて…5人はどこまでも私の人生のバイブルだなあ…(重い)

 

「君」はファンのことでしたが、「きみ」はどうだろうか。

やっぱり表記を変えるからには違う意味がありそうです。

私はこれ、「メンバーのうちひとり」と「ファン」の二重の意味を持つのだと思いました。で、「僕ら」は「他の4人」と「5人」。

 

実はこの後、「僕ら」は「5人」のことだと明確に分かる詞があります。

 大サビ前のこの部分です。

情けない事 悔しい事 あったけど でも

僕らは ずっと 5人で 一緒に

あしたを見続けてきた。

だとしたら、「きみ」はファンで確定してもよさそうです。

でもあのツイートを目にしてから、メンバー間の関係を描いていると捉えてもいいのではないかと思うようになりました。

思えば相葉ちゃんの「嵐のためならなんだってできる」という発言に代表されるように、5人は嵐というグループに対して何かできないかといつも考えています。それゆえのコンサートの演出、作詞、作曲、振り付け、グッズ企画だと思うのです。もちろんこれだけではないでしょう、あくまでこれらは表に出ているものだけです。4人のことが大好きで、嵐というグループが大好きで、そのためだったらどんなことだってできる。どこへだって行ける。嵐という存在が、5人を強くしている。だからこそ、ここでいう「きみ」はメンバーだと解釈しても決しておかしくないと思うのです。

嵐から嵐への愛。...オタクはほんと、こういうのに弱い(泣いてる)

 

本気で泣いて 本気で笑って

本気で悩んで 本気で生きたから

ぼくらはここに立つ。

 

皆で揃って ありがとうだなんて

当たり前じゃなくて 幸せなことなんだって

笑って今日を祝おう。

5×10の歌詞の引用ですね。

5×10では、本気で泣いて~本気で生きて、のあと、「今がある 胸を張れる」と続きますが、5×20でもほぼ同義だと思われます。つまり、今まで5人で本気で仕事や互い(メンバー)に対して向き合ってきたからこそ今があって、そのことを誇りに思っているということ…。

「僕ら(=5人)」と「ぼくら」、意味の違いはあるのか考えたのですが、ここに違いはなさそうです。「ここ(=ステージ)に立つ」のは5人でしかないはずですから...なぜ表記を変えたのかは分からず...何かいいアイデアあったらぜひ教えてください。

ここでいう「皆」は5人とファンのことだと思われます。20周年を祝う主体に、5人とファン、どちらかが欠けている状況をニノが想定しているとは思えないからです。

メンバーとファン、そのいずれもが欠けてもこの空間は作れない。結成から変わらないメンバーと、その長い旅路の中で彼らを愛し、彼らとともに節目を祝いたいと集ったファン。この両者が集う場を設けられていること自体、決して当たり前ではないし、それを自分たちは叶えることができた。その喜びはもちろんのこと、心なしか自負まで感じられて好きです。

普通に考えたら「今日」は20周年を迎えたまさにその日、つまり2019年9月15日のこと、もしくはデビュー20周年の記念日である2019年11月3日のことだと考えられますが(実際ニノもメイキングで、嵐のお誕生日に向けて作った曲だと言っています)、私としては特定の日付ではなく「今日」と表現することで、各公演どの日でも5人とともに20周年を祝っていることになる、という意味もあるのではないかと思っています。8月31日の公演で「今日」と歌えば、「今日」は8月31日になる、というように。

思えば、「皆で揃って」という表現も、FC会員は全員一度はコンサートに行ける(あくまで計算上ですが)からこそなのでは?去年の5×20初演の頃には考えつかなかったような考察ができて楽しいですね。

 

僕たちからの沢山の愛を 何度何度も伝えていたいの

共に未来を 見つめていたいの 揺れる船に響く誓いよ

2番に入り、再びラップ部分に戻ります。

ここは、5×10のサビのラップパートの詞・メロディーを一部引き継いでいます。

「僕たちからは沢山の愛の 言葉しかもう本当に何もないの」

ここまで再度再度愛を伝えてくれるアイドルって他にいます……?

(いうまでもなく、「僕たち」は5人のことですね、以下一緒です)

しかも共に未来を見つめていたいとまで言ってくれる。

好き、愛してる。愛を伝える言葉は数あれど、私は嵐がファンに対して伝える愛の表現に勝るものはないと思っています。

そう思うのは、私が彼らのファンだからです。決して贔屓目とかそういう問題じゃなく、嵐は「ファンだからこそ真に響く」愛情表現をしてくれるからです。暗号にも似た愛情表現です。

今まで5人と過ごしてきた時間、5人と笑ってきた時間、5人の曲を聴きこみ味わった時間。それが全部、暗号を解く鍵になる。曲を聴くだけで、歌詞に触れるだけで、自然と解凍されて心に沁みる。

5×10の歌詞を知らなくても愛は伝わるとは思います。でも、知っていれば10年の時を超えた表現だということに気づける。国民的アイドル、普遍的な存在でありながら、たまにこういった「ファン贔屓」な計らいをしてくれる5人が大好きです。

「華奢な5人で乗り込む揺れる船」も引き継いでますね、揺れる船=デビュー会見の時にハワイで乗ったクルーザーに響く誓い。1番Aメロのcruisingともリンクしています。ここでいう「誓い」は今現在5人の中にあるものだとすると、20周年イヤーに嵐はまだハワイを訪れておらず15周年のときのようにクルーザーに乗り込むこともしていないので、本当にあのクルーザーの中で誓いを立てたわけではなく、いつでも5人の誓いの原点はそこにある、ということが言いたかったんじゃないかな、と思います。

 

水平線へ届く方に 僕たちはまたいつも通り

嵐のあと星瞬くように いつも見守ってるよ to all my hommies

 5×20メイキングで翔さんが、雲・空・海を意識して作詞したと言っていましたが、それがここにも表れています。

少しの傷も沢山のkissを。 いつも…雲間から またkissを

「水平線(=海の果て)」「星(=空に浮かぶもの)」「雲間」

ここだけでも見事に3つ揃っています。

まず2番については、先ほど確認した通り「僕たち」は5人、to all my hommies はファンのことだと思います。5人が見守るhommies(仲間たち)となればファンと考えるのが自然でしょう。ていうか私たち見守られてるんですね、嵐に見守られてるとか怖いものなしじゃないですか(急に強気)

...と書いておきながらさすがにこれはファンに都合よすぎないか??と不安になりかけたのですが、「ただいま」の歌詞を見てやっぱりこうじゃないかと自信を取り戻しました。

http://j-lyric.net/artist/a000eac/l03aad7.html

この歌はアリーナツアーからドームツアーに移行したことで何年もコンサートを開催できていなかった地域のファンに対し、Japonism Show in ARENAを前に書き下ろされた曲です。詞は、メンバーそれぞれが書いたものを作詞家さんが取りまとめたもの、つまり5人の想いが限りなくそのままの形で反映されたものです。実際、この曲はコンサートのOPを飾る重要な曲となりました。そこに溢れるファンへの思い。曲を知ってる方も知らない方も、改めて、ぜひ、目を通してみてください。今回「見守」られている対象がファンだと考えるのは、決してファンの都合いい妄想だとも言い切れないと思います、真意は本人たちに訊かないとわからないけど...。

離れたところにいたって、僕たちはファンのみんなのこと、今までと変わらず見守っているよ。荒れ狂う嵐のあとも、静かに瞬く星のように。

これ、活動休止することを知って聴くのと知らないで聴くのとでは意味合いが変わりますね...どちらでも意味が通じるように書く翔さんの作詞の巧みさにただただひれ伏すばかりです。

 

いつも...雲間からまたkissを。

5人を星に例えるさっきの解釈に従うならば、雲間からkissを贈っているのは5人で、贈られているのはファンだということになります。上空にいる5人と、それをはるか遠くから見上げるファン。表現の壮大さに心揺さぶられますし、遠いステージで輝くアイドルを見つめるファン、という関係性も象徴しているようにも思えます。

さっき、ここの部分が一番好きと言ったんですが...

この部分、誰が誰に対して、っていうのが明記されてなくて抽象的だからこそ如何様にも解釈できると思うんです。でも「いつも...雲間からまたkissを。」という文字列を見ただけでふっと心が緩んであったかい気持ちになれることだけは確かで。解釈は人それぞれでも、少なくとも心にふっとあかりを灯すようなこの表現が、私はとっても好きです。

 

少しの傷も沢山のkissを。

「少し」の傷に「沢山の」kissをくれるんですよ...?優しい...愛に溢れすぎでは...?こんな愛されてるオタクっているんですかね...いないと思いますよマジで...(自問自答)

 

...あとこれは今となっては解釈なんですが...

天国に旅立たれたジャニーさんにも当てはまるような気がして...でもこれは完全に後付けなので説明はしないです...

 

その笑い方 その話し方 その全てが温かな仲間は

きっと他にいないだろう だって…そんなやつは他にいないんだ もう

 

数えきれぬ夢たち叶った(yeah) “5” is my treasure number(yeah)

 

横に並び掴んだ手と手 今日も未来も smile again and again…..

一気にたたみかけるように「5人」の繋がりを強調する詞が並びます。

結局、嵐は「5人」なんですよね。6人目の嵐、とか言いますけど、結局は「5人」なんですよ。もうこの5人じゃなきゃありえないって、5人が一番自覚してる。5−1=0。5人がどこの誰よりも「5」にこだわってて、それは時に排他的にすら感じてしまうくらいで。でも私たちはそんな5人が大好きなんですよね。

5×10、感謝カンゲキ雨嵐からの引用、そして「5」つのピリオド...。

この一節に、20年変わることのなかった「5」への思いが詰まっています。

 

皆で見た景色は 今でもちゃんと動くよ。

僕らが大事に守って来た 想いはこれからもずっと…。

「皆」=5人+ファン、「僕ら」=5人 

活動休止発表後にこれを聴くと、たとえ休止していても、5人の想いは不変だよ、というふうに聴こえます。5人と、ファンとで見てきた景色はずっと胸にあるし、それは休止中も変わらない。そう言ってもらえてると思ったら、安心できます。新たな活動があるかどうかはわからなくても、これまで一緒に見てきた景色は消えない、と思ったら、それだけでも救われませんか?

 

本気で泣いて 本気で笑って

本気で悩んで 本気で生きたから

ぼくらはここに立つ。

 

誰よりも早く 君に伝えたいんだ。

僕らの想いがちゃんと伝わるように。

大丈夫。ここにいる。

これ休止発表のことですよね......FC限定動画を通じて、誰よりも早く、ファンに伝えようとしてくれた、あのことが思い出されます。直接、自分たちの言葉で。文章と、動画で。報道を通じなくても、FC会員は5人からのメッセージを受け取ることができました。何の憶測も噂も脚色もまとわりついていない、まっさらで純粋な言葉を。

そこにいる5人を信じるだけで十分。5人の口から出た言葉だけ信じていれば、それでいい。根拠のない、尾ひれのつきまくった報道や噂に惑わされることはない。実にシンプルなことを教えてくれます。

...いちオタクが生意気なことを言うようですが、この場を借りて言いたい。

5人の言葉だけ、信じましょう。たぶんこれから(というより今までも今も)あらゆるゴシップが飛び交うと思いますが、全無視で。なんで5人との大切な時間をそんな価値ないものに邪魔されないといけないのかわかりません、そんな時間私たちにはないです、そんなことしてる場合じゃないです。5人が真実。もはや宗教じみてますがこれが一番間違いないです。5人が誠実なのは私たちが一番知ってるわけですから。5人だけ信じていきましょう。

 

...すいません、話が大脱線しました。話戻します。

 

情けない事 悔しい事 あったけど でも

僕らは ずっと 5人で 一緒に

あしたを見続けてきた。

5人で歩いてきた道は決して平坦ではなかった。

けど、「ずっと5人で」「未来を見据えて」歩いてきた。

ここ、5人で歌い繋いでるのがアツいですよね...! 

 

La la la la…

皆と一緒に歩いた20年… 最高だよ

そこには、「皆=5人+ファン」がいた。

そんな20年間は、最高だった。

 

顔を見ただけで 声を聞いただけで

何を思っているかなんて そんなのわかるんだよ

5 and you ×20

顔を見ただけで、声を聞いただけで、何考えてるかなんて余裕で分かる5人と、ファンで、20年間、ここまできた。

 

5×20の左側の数字を「5」に保ってきたことに誰よりも誇りを持つ5人が、「5」に「you」を加えた、ということ。

嵐は結局5人だけど、でも、その歩みにはファンが欠かせなくて、そんなファンのことを5人はいつも思ってくれているということ...

嵐ファン、最高じゃないですか???

こんなに愛されてるオタクいます?????(2回目)

 

次は何しようか 気にしないでいいか

嘘じゃない今までが 教えてくれるから

だから今は もう一度 僕らから皆に

ありがとう。

これ完全に休止後のことじゃん(号泣)

活動休止、その先のことはノープランだということを示唆しているのではないかと。(これ休止発表前なら20周年アニバーサリー終わったらどうしようかな〜って考えてるけどノープランなのか〜って捉えますよね普通...最初から最後まで「あれ、これ嵐に何かあるんじゃ...」って思わせないのがすごい、しかも発表後に聴いたらちゃんと発表に沿った内容になってるって分かるのもすごい)

そしてここで「ありがとう」と。

この先のことはとりあえず考えてませんって正直に言うのが嵐だなあと思うし、重ねてありがとうって言ってくれるのが本当に誠実だなあと思います。コンサート終わりに何度も何度もお腹いっぱいになるくらい「ありがとう!」って叫ぶ姿を思い出したりなんかして。

しかもここ、これまで通り「皆=5人+ファン」だとすれば、「ありがとう」の対象は自分たちでもあるということになります。

嵐からファンに、ありがとう。

メンバーから4人に、ありがとう。

嵐から嵐への感謝。実はこれも、この曲の大切なメッセージなのではないかと思うのです。 

 

Love love for you…

5×10と同じ終わり方。

そういや「you」が誰なのかっていうの考えてなかった。

私はこれ、さっきの解釈を踏まえたら、ファンでもあり、嵐自身でもあると思います。

ファンに、4人に、愛を。どこまでも最高ですね。ごめんなさいもう語彙力が限界。

 

 は〜〜〜〜ようやく終わった。ここまでで1万字超え。

ここまで限界オタクの限界語彙力で長々と書いてきましたが、要するに5×20最高ってことが言いたいだけです(シンプル)。

5×20を聴いてると一気にいろんなことを考えてしまって頭がパンクしそうになってたので、感じたあらゆることを言語化したらこんな長文になってました。てかここまで読んでくれた人いるのか??いないよな??(万が一いらっしゃったら最敬礼でお礼の気持ちをば...!!)

次はコンサートに行って、生で5×20を観て、聴いて、目一杯いろんなことを感じ取ってきます!またレポ書きます!