映画「ブラック校則」に、吃音を持つラッパー、達磨さんが出演している。
先日放送されたNEWS ZEROでこのことを初めて知りました。
本日23:00〜 日本テレビ系「news zero」カルチャーコーナーにて、#達磨 さんインタビューが放送予定😊✨
— 『ブラック校則』公式 映画11.1👊ドラマ&Hulu10.14 (@bla_kou2019) 2019年12月3日
メイキング映像もあるかも⁉️
皆さまぜひご覧下さい👍🏻✨
※内容は予告なく変更になる可能性があり、一部の地域では放送されません#newszero #ブラック校則 #ブラ校 #立ち上がれ今だ早く pic.twitter.com/cxtviI7Qk0
私は、小さい頃から吃音を抱えて生きています。
吃音とは言語障害のひとつで、言葉の最初の音を繰り返してしまったり、伸ばしてしまったり、音を発することすらできなかったりと、すらすらと話すことができません。(人によって症状はまちまちなので一概にこう、ということはできません)
詳しくはこちら。
番組では劇中で達磨さんがラップを披露するシーンの一部が放送されていたのですが、吃音の当事者である私にとって、その歌詞は衝撃的なものでした。あまりにも、自らの体験と重なるところが多かったのです。
(劇中ラップの動画です)
すごい、吃音を武器に変えて活躍している人が同世代にいるんだ、と感動しました。
それと同時に、これはチャンスではないかとZEROを観ながら思いました。メディアで吃音が取り上げられることなんてそうありません。
映画や、それに関するニュース等がきっかけで吃音のことを知った人はきっと多いはず。以前から吃音についての記事をいつか書きたいとは思い続けていて、でもタイミングが分からず実現せずじまいだったのですが、自分が吃音について語るなら今しかないと思いました。
映画の記憶が新しい今なら、世の中に対して、特に若い世代に対して、効果的に吃音について訴えかけることができるのではないかと思ったのです。
私なんかの文章で世の中を変えられるとは思っていませんが、ひとりでも吃音の実態を知ってくれたら、それだけでもこの記事が存在する意味があると思えますし、実際そうなってくれたらいいなぁと思います。
以下、私の体験談です。全て実話です。
少し立ち止まって、読んでいってくださるとうれしいです。
私にとって最初の吃音の記憶は幼稚園年中のとき。
授業か何かでひとりひとり絵を描いて、そのタイトルと頑張ったところを先生の前で発表する、ということがありました。絵を描くのは好きだったのでうきうきで描いて、あとは先生の前で発表するだけ、というところまできて、なぜかタイトルが言えなくなりました。
花、と言いたいだけなのに、なぜか口から出てくるのは「は」の一音だけ。自分でも、というか、多分自分が一番意味分からなかった。意味分からなさすぎて怖かった。
なんで「花」、たったこれだけが言えないの?
小学校に入り、吃音は徐々に本気を見せ始めました。学年が上がるごとにひどくなる症状を自覚すればするほど状況が悪くなるループに入っていきました。
人と明らかに違う話し方を心配して親に連れられて行った大きな病院で、吃音の症状がある、との診断を受けました。でも、特効薬はありませんでした、今もそうです。吃音には未だ謎が多く、メカニズムの解明もあまり進んでおらず、これといった治療法はありません。
症状が出るタイミングも、人と話す時から人前でひとりで話すときへと変わって、生活に支障が出てきました。今思えば、小学校での生活は吃音を持つ者にとっては地獄です。朝の健康観察、国語の時間の音読、発表会での群読、日直のときにする帰りの会でのあいさつ...逃れられないイベントだらけで、あまりにも逃げ出したくて、毎朝健康観察のときに本気で災害でも起こらないかなと思っていました。あまりにも不謹慎ですよね。でも本気でそう願うくらいには毎日追い込まれていました。
小学生は正直です。「なんでそんな喋り方なん?」「普通に話せんのん?」ごく素朴な疑問を、何の悪気もなくぶつけられました。
「そんなんこっちが訊きたいわ」と内心思いながら笑ってやり過ごしました。そうするほかなかった。
小学校を卒業し、私は中学受験で合格をもらえた中高一貫校に進学しました。小学5年生の時に、ここしかない!と惚れ込んで第一志望校に決めていた学校でした。
授業では当てられるし相変わらず日直制はあるし、逃げ出したい局面は山ほどありました。結果どもることもあったけど、望んで入った学校ということもあって楽しい日々を送りました。
そして中学3年生のとき、人生初の快挙を成し遂げます。なんとあの私が、中学の全校生徒と教員(多分800人くらい)の前で自分の書いた感想文を朗読することに成功したのです。
あっこれ、吃音とさよならできる日は近いな、と確信しました。やっとさよならできると思ったらうれしくてたまらなかったです。
そこから状況は確実に好転していきました。高校1年生の時には部活動で友人と共に再び全校生徒の前で発表、これもうまくいきました。国際交流系の部に所属していたので、海外から来た学生に街を案内するみたいなこともしたのですがこれも成功。日常生活でどもることはざらにあれど、昔よりはここぞというときに強くなっている自信がありました。
事態が変わったのは高校3年生の秋。部活も引退して受験勉強に打ち込んでいる頃、私の書いた感想文が学内で優秀作品に選ばれたというのです。中3のとき朗読に成功したあの感想文と同じ行事のときに書いたものでした。感想文自体、我ながら自信作だったし、3年越しの朗読、すぐに引き受けました。高校生活の集大成になると勝手に感じていました。
迎えた当日。読めませんでした。
壇上に立って、いくら息を吸っても喉が声を発するのを拒絶してどうにもならなくて。
一生忘れられないと思います。あの空気感、視線。たとえ悪気のないものだったとしてもあまりにも辛かった。何が辛いって、自分が辛かった。なんで自分が書いた文章も読めないの。なんで?いつになったら私はこいつとさよならできるん。誰か治してや。
同じ頃、英検準1級も受験したのですが、筆記試験と口述試験のスコアの差に笑ってしまいました。前者は1級合格も夢じゃないレベルなのに、後者は準1級合格すれすれの底辺レベル。
大学に入って、人前で話さざるを得ないことはかなり減りました。これで心の負担がぐっと減って比較的楽にはなりました。
とはいえ、音読や発表の機会が回ってこないわけではなく。毎週音読があると分かった途端、履修するのをやめた授業はありましたが、履修をどうしても回避できない授業もあって、その時はやっぱり読めなかったです。発表する授業に至っては、作ってきた原稿を渡して代読してもらう始末。
どういうわけか2年生のときは調子がよくてプレゼンも成功したのですが、現状3年生、非常に調子が悪いです。数年単位の波でもあるのか?
と、しんどい思い出中心にここまで書いてきましたが、これだけだったらとうの昔に心折れてます。
吃音を幼い頃からずっと抱えてきてずっと治らなくて、今でも苦しめられてるのは不運だと思っていますが、その一方で本当に人に恵まれてきました。これは幸運としか言いようがないです。
まず、私をはじめに吃音だと診断してくれた大きい病院の先生。あのときの私は、みんなのようにうまく話せない謎の現象に名前がついただけでも安心しました。他にも仲間がいることもわかって救われたし。あれからしばらく通ってないけど、本当に本当にヤバいと思ったらここに行けばいい、と思える場所が自分の中にあるのはとても心強いです。
小学校時代の担任の先生。特に5年と6年のときの先生。私の状況を具体的に理解して、策を講じてくれました。5年のときの先生は個人的に2人で話をして私を激励してくれて、6年のときの先生は日直の仕事で私がいない間にクラスみんなに私の吃音について説明してくれてました。それを受け入れて普通に接してくれたクラスメートも本当に優しかった。
小学校の時に通ってた塾の先生。週1の漢字テストの点をみんなの前で自己申告するとき、言うのに時間がかかりまくった私を黙って待ってくれて、言えたら「ためたね〜」とか言って笑いながら何事もなかったように進めてくれました。当時はすぐ言えない自分が悔しくて「ためてねーし」とか思ってたけど、今思えばきっと優しさだよね。感謝。
中3の時の担任の先生。朗読が終わったあと用があって教員室を訪ねたとき、私をこっそり手招きして呼んで、教頭先生が褒めてたよって教えてくれました。今思い出してもふふってなるくらいにはうれしかったです。
高3のときの担任の先生。発表のとき出張で学校にいなかったのに、その日のうちに私を心配してわざわざ家に電話かけてくれました。忙しかっただろうに...(しかもそのこと知ってるってことは誰かが先生に連絡飛ばしたってことだよね、連携がすごい、信頼しかない)
高3のときの英語の先生。英検準1級の面接練習の時にどもりまくって、たまらずその理由を話した時、真剣に聞いて受け止めてくれて。ちゃんと腰を据えて、面と向かって吃音の話をした人は今のところこの先生しかいません。
大学のゼミの先生。大学1年、3年とゼミでお世話になっています。1年のときは学校側の振り分けで偶然先生の教養ゼミに入って、そのとき先生の研究分野に興味がわいて、今は自ら志望して所属しています。1年の時、教科書を音読できなかったこと、発表できなかったこと、まさか2年経った今でも覚えておられるとは思いませんでした。「社会にはいろんな特性を持った人がいるから。誰にでも得手不得手はある」と、発表時に自分の担当部分の原稿を他のメンバーに渡して代読してもらうことを何のためらいもなく許可してくれたときのこと、絶対忘れないです。
今まで出会ってきた友人たち。どれだけどもって無様な姿を見せても何事もなかったように接してくれてありがとう。普通に話せる人からしたら意味わからないだろうに...優しい。
高3の発表のとき、話せなくなった私をフォローしてくれた2人。同じく壇上に立って発表するメンバーだったからすぐ隣にはいたけど、あの状況でさっと動けるのは普通じゃないと思う。しかも大して関わりのなかった私のために。少なくとも、私が逆の立場だったらあの動きができた自信はないです。ひとりは私の背中をさすって大丈夫と声かけてくれて、もうひとりはためらいなくマイクの前に立ってアドリブで場を和ませつつ時間を稼いで、それから発表してくれました。頭が上がりません。
あのあと人目を恐れながらふらふらと教室に戻った私を待っていて抱きしめてくれた友人。いつも通り、いたって普通に一緒に帰ってくれた友人。次の日からもごく普通に接してくれた周囲のみんな。
ゼミの発表で、快く代読を引き受けてくれた友人。
どもってもひとりも笑わないゼミの空気感。
救われてばかりだ......私。ありがたいなあ。生かされてるなあ。
吃音は障害です。なりたくてなったわけじゃありません。本人の意思とは無関係に発症します。大人になってから発症された方もいらっしゃいます。
一方で、先述の通りこうすれば治る、という明確な方法は見つかっていません。
吃音は「どもってしまった」という失敗体験が「次またどもったらどうしよう」という不安を生み、それがまた新たな失敗体験につながる、という精神的な負のスパイラルに陥ることで症状が悪化していく、といわれています。逆に成功体験の積み重ねで克服できる、という話もありますし、克服された方で実際にそうだと言う方もいます。けど、なかなかそうもいかないのが現実。
だからこそ、周囲の人が重要なのです。
周囲の人の対応次第で救われますし、傷つきます。
・どもっている人を見てもどうか笑わないでください。からかわないでください。たとえ本人が素知らぬ顔をしていても、内心傷ついています。どもりは、声をどうにか発そうと頑張っている状態だと捉えてください。あなたに伝えたいことがあって、それを声に出して、話すことで伝えたいと思っているのにうまく話せていない状態なのです。どうかそれをご理解ください。
・どもったあとの人に接するとき、いつも通りに接してください。気の利いた言葉をかけようとか無理しないでください。いつも通り、が案外一番救われます。余裕があれば声かけもお願いします。
・寛容な心を持ってください。
これは吃音だけでなく、他のあらゆることにも通じることだと思います。すらすら話せない、ゆっくりとしか動けない、人より理解に時間がかかる、とか。
自分とは違う状況にいる人もいる、自分とは違うペースで動く人もいる、ということを分かってください。想像力を持ってほしい。これは人としてごく基本的なことのようで、実は結構難しいことです。
これができる人がひとり増えるだけでも、生きやすい社会になるんじゃないかなと思います。かくいう私も肝に銘じておかないと。
ここまで読んでくれたあなた、本当にありがとうございます。
ここに書いてあることを、頭のほんの片隅にでも置いておいてくれるとうれしいです。
最後に。
達磨さんがNHKの番組で披露したラップの動画のリンクを置いておきます。(公式ですのでご安心を。)(なぜか動画のサムネイルが表示されないのですが、リンクを押してもらえれば動画にちゃんと飛びます)
ここまで私が書いてきたこと、伝えたかったこと、私がこれから進むべき方向まで、このラップに全て詰まっている気がします。最高にかっこいいのでぜひ。